東京映像芸術学院・特撮科の教え子(僕自身は大して教えてないが)に映画に誘われた。映画は特撮科OBらしく『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』。教え子とは言え、もはや30代。いいおっさん3人連れ立ってゾンビ観賞である。と自嘲しつつ入った映画館、てっきりガラガラかと思っていたのだが、同じような年代の方々で結構賑わっている。日本もなかなかのゾンビ人口である。
さて、今回もゾンビ映画のロメロ先生、毎回ゾンビ映画なのに、毎回面白い。題材も現代をしっかり反映させていて、YouTubeやブログ時代の情報氾濫を背景に、カメラ付き携帯を持ち歩きネットで情報を得る我々全員に疑問と肉片を投げかけてくる。ジャンル映画として成立させつつも、しっかりテーマと切り口があり、脳天を打ち抜きとどめを刺す刺激もあり、まるで映画づくりの教科書のようでもある。映画学校出身のおっさん3人は、すっかり感服して観賞する。
最近はゾンビよりの描写が目立つロメロ先生。今回のラストはさらに痛感した、ロメロ先生は人間に怒っているのだと。最前線でゾンビと戦いつつも、人間を厳しく睨みつける先生に背筋が伸びる(僕の背骨は金属付だが)思いである。
2008年11月19日水曜日
2008年11月18日火曜日
『僕らのミライへ逆回転』
「ぜひ『僕らのミライへ逆回転』を観てもらいたい!」と友人のimao氏に薦められてバルト9に観に行く。公開開始からずいぶん日もたち、24:05開始のミッドナイトのみの上映なので、観客は最終的に僕を含めて3人(開始直前まで、すわ一人!の状態)。こういう少人数の上映って、「昔、映画館(自由が丘武蔵野館)でバイトしてた時の事を思い出すな」なんて思いつつ映画が始まる。
冒頭は電磁波ネタで奇奇怪怪。展開のリズムもやたらと跳び気味。いったいどこに行くんだろうと思っていたら、電磁波ネタ自体がどこかに飛んでいってまい、それから本筋にエンジンがかかる。観ていて少々不安になる奇天烈導入だが、そんな型にはまらないところも面白い。走り出した本筋は、色んな映画へのオマージュ(パロディ?)を、自主映画制作目線からバカバカしくも愛に満ちてこれでもかと繰り出してくる。ともすれば痛い学芸会になってしまうゼロ予算自主映画制作の内幕設定の節々に、手作り設定ならではの気の利いた演出が満ち満ちて、お仕着せの学芸会ではなく、下手でも創作と青春の叫びをあげる素敵な文化祭になっている。勢いとセンチメンタリズム、阿呆やっててもどこか本気だったりする、そんな素敵な文化祭になっている。これっていい歳した大人の青春映画だなって思う。取り上げられる映画も30代後半から40代の映画ファンにはたまらない作品ばかり、実際映画同様に図書室で『ゴーストバスターズ』の真似を撮影して喜んでいた中学生時代をすごした僕にはなおさらである。
出演者も良い、ミア・ファローの普通なのだが微妙にズレてるおばちゃんのキャラクターは派手さこそないが、非常にすごいキャラと演技だと思う。シガーニー・ウィーヴァーは、初めシガーニー・ウィーヴァー風に見えた。似た女優さんかと思ったのだ(笑)良い意味でね。導入が終わったあたりで突如、本筋に巻き込まれるヒロインのキャラクターの外し具合も絶妙。ハリウッド映画のヒロインというより学生自主映画でちょっと気になる女友達といった感じがむしろすごく良い。
うーん、楽しい。
夜2時の帰りのエレベータは、3人だけの観客なので当然のながれで3人一緒になった。僕以外の二人は、おそらく僕よりやや年上のカップルなのだが、聞こえてくる会話からすると楽しんだようである。良かった、僕の青春を楽しんでもらえて。そんな風に思えてしまう、僕にとって他人事の気がしない作品だった。
冒頭は電磁波ネタで奇奇怪怪。展開のリズムもやたらと跳び気味。いったいどこに行くんだろうと思っていたら、電磁波ネタ自体がどこかに飛んでいってまい、それから本筋にエンジンがかかる。観ていて少々不安になる奇天烈導入だが、そんな型にはまらないところも面白い。走り出した本筋は、色んな映画へのオマージュ(パロディ?)を、自主映画制作目線からバカバカしくも愛に満ちてこれでもかと繰り出してくる。ともすれば痛い学芸会になってしまうゼロ予算自主映画制作の内幕設定の節々に、手作り設定ならではの気の利いた演出が満ち満ちて、お仕着せの学芸会ではなく、下手でも創作と青春の叫びをあげる素敵な文化祭になっている。勢いとセンチメンタリズム、阿呆やっててもどこか本気だったりする、そんな素敵な文化祭になっている。これっていい歳した大人の青春映画だなって思う。取り上げられる映画も30代後半から40代の映画ファンにはたまらない作品ばかり、実際映画同様に図書室で『ゴーストバスターズ』の真似を撮影して喜んでいた中学生時代をすごした僕にはなおさらである。
出演者も良い、ミア・ファローの普通なのだが微妙にズレてるおばちゃんのキャラクターは派手さこそないが、非常にすごいキャラと演技だと思う。シガーニー・ウィーヴァーは、初めシガーニー・ウィーヴァー風に見えた。似た女優さんかと思ったのだ(笑)良い意味でね。導入が終わったあたりで突如、本筋に巻き込まれるヒロインのキャラクターの外し具合も絶妙。ハリウッド映画のヒロインというより学生自主映画でちょっと気になる女友達といった感じがむしろすごく良い。
うーん、楽しい。
夜2時の帰りのエレベータは、3人だけの観客なので当然のながれで3人一緒になった。僕以外の二人は、おそらく僕よりやや年上のカップルなのだが、聞こえてくる会話からすると楽しんだようである。良かった、僕の青春を楽しんでもらえて。そんな風に思えてしまう、僕にとって他人事の気がしない作品だった。
2008年10月20日月曜日
退院後初の映画館
映画館のイスの角度は、僕の背骨&チタンにはどうにも快適さに欠け疲れるので、退院後はずっと映画館から遠ざかっていた。しかし退院して半年が過ぎ、昨日、ついに映画館で映画を観た。観たのは『イントゥ・ザ・ ワイルド』。椅子の角度はやはり快適ではなかったが、上着を椅子との隙間に挟んで対処。長めの上映時間だが気にならないどころか、のめりこむ。今回もショーン・ペンに心つかまれたのだ。饒舌とは言いがたいものの、故にむしろ剥き出しの純粋さが、恐れを知らずに鼓動を打っている。良かった、退院後初にして重心が肉と心に宿りそうな作品を劇場鑑賞できて。
2008年1月7日月曜日
アイ・アム・レジェンド
『アイ・アム・レジェンド』を深夜のバルト9で観た。
男ひとりで深夜に観るには、なかなか面白い。
ツボを突かれたのはまず音使い。
特にヘリコプター前後の乱暴なまでの音圧が良い。
すぐにでも爆発しそうな危機的展開が想像されて、緊張感を持って見つめた。(これはDVDより映画館ならではかも)
あと、例の人(?)たちの登場シーンも良い。少々滑稽にも思える集まり方が印象的。
ゴルフの打ちっぱなしシーンや、マネキンとの語らいシーンも、ユニークで気の利いたイメージ。こういうシリアスな内容だからこそ、ユーモアは必要で、むしろ核心に近づけると再認識。
編集の間合いや、情景描写においても、この手のジャンル映画だと省略される描写が良い具合に投げ出されるように散りばめられ、逆に通常余韻をおくカットを思い切ってカットアウトさせたりしていて、このジャンルにおいてはかなり個性的なリズムと空気感を作り出していた。
どういう監督なのだろうと思ったら、『コンスタンティン』の監督だったのですね。正直、『コンスタンティン』はキアヌの配役もそれっぽすぎって、いかにもジャンル映画としてこじんまり感になってしまって、あんまりピンとこなかったのだけど、今作はジャンルの雛形に収まらない粋な外しっぷりが各所に活きていて、楽しめました。
男ひとりで深夜に観るには、なかなか面白い。
ツボを突かれたのはまず音使い。
特にヘリコプター前後の乱暴なまでの音圧が良い。
すぐにでも爆発しそうな危機的展開が想像されて、緊張感を持って見つめた。(これはDVDより映画館ならではかも)
あと、例の人(?)たちの登場シーンも良い。少々滑稽にも思える集まり方が印象的。
ゴルフの打ちっぱなしシーンや、マネキンとの語らいシーンも、ユニークで気の利いたイメージ。こういうシリアスな内容だからこそ、ユーモアは必要で、むしろ核心に近づけると再認識。
編集の間合いや、情景描写においても、この手のジャンル映画だと省略される描写が良い具合に投げ出されるように散りばめられ、逆に通常余韻をおくカットを思い切ってカットアウトさせたりしていて、このジャンルにおいてはかなり個性的なリズムと空気感を作り出していた。
どういう監督なのだろうと思ったら、『コンスタンティン』の監督だったのですね。正直、『コンスタンティン』はキアヌの配役もそれっぽすぎって、いかにもジャンル映画としてこじんまり感になってしまって、あんまりピンとこなかったのだけど、今作はジャンルの雛形に収まらない粋な外しっぷりが各所に活きていて、楽しめました。
2007年11月27日火曜日
ブレラン(ファイナルカット)
先日のこと、
忙しいというのにブレラン(ファイナルカット)をバルト9に観にいく。
夜0時過ぎの上映もあるのが、イカしてる。
劇場に向かうために、エレベータに乗った時に広がる夜の新宿の眺望、
まさにブレランを観る儀式としてふさわしく感じ、
さながらエレベータでタイレル社長のもとへ向かうロイの気分。
最初に観たのは中学生の頃だったかな?いったい、今まで何回見たのか?
ビデオも含めての鑑賞回数としては一番多いかもしれない。
なのに、今回の上映で、初めて認識した音も多数、
あらためてしびれた芝居も多数。
なんだろう、今回のファイナルカットは、
いままでのブレランのディテイルを確実にエンハンスしている。
しっかりパーツパーツごとが、素敵な御馳走になっていた。
非常に蛇足ですが、
ブレランは『ブレードランナー』のことです。
忙しいというのにブレラン(ファイナルカット)をバルト9に観にいく。
夜0時過ぎの上映もあるのが、イカしてる。
劇場に向かうために、エレベータに乗った時に広がる夜の新宿の眺望、
まさにブレランを観る儀式としてふさわしく感じ、
さながらエレベータでタイレル社長のもとへ向かうロイの気分。
最初に観たのは中学生の頃だったかな?いったい、今まで何回見たのか?
ビデオも含めての鑑賞回数としては一番多いかもしれない。
なのに、今回の上映で、初めて認識した音も多数、
あらためてしびれた芝居も多数。
なんだろう、今回のファイナルカットは、
いままでのブレランのディテイルを確実にエンハンスしている。
しっかりパーツパーツごとが、素敵な御馳走になっていた。
非常に蛇足ですが、
ブレランは『ブレードランナー』のことです。
2007年8月19日日曜日
『トランスフォーマー』のたわむCGロボ
やっと映画館にいけるだけの時間が出来たので、『トランスフォーマー』をバルト9に観にいく。土曜ではあるが、午前の回のせいもあるのか、客席はまばら。例の如く、かなり前列に座る。
さて、『トランスフォーマー』とりあえずは退屈もせずに映像を楽しめた。この手の巨大ロボのCGもすっかり実写になじむようになったなあと思う。感心したのは動いたときの時折見せる各部の「たわみ」っぷり(?)である。CG巨大ロボ映像の従来ありがちな欠点として、ミニチュア的に見えてしまうという点がある。非常にうまく背景になじませても、動くとミニチュアっぽくなりがちなのだ。対して、古典とも言える気ぐるみ巨大ロボという手法、こちらのが動いたときの巨大感がリアルに感じたりする事が多い。それは各部の「たわみ」のおかげではないかと思っていた。日常において工事現場の大型工作機械を見ていると、一箇所一動作が起こるたびに、全体にそれの作用反作用の動きが発生し、主動作以外の動きが全体に波のようにしばらく尾を引く。これである。動作物が大きくなれば大きくなるほど、このたわみは大きく、そして時間軸上も残ることとなる。これの正確な用語はわからないので、とりあえずここでは「たわみ」とする。ロボではないが『ガメラ3』において、ガメラの着ぐるみの甲羅を構成している無数の小さな殻がそれぞれ別々に動くようにしてあり、ガメラが動くごとに複雑な作用反作用をおりなしていたのは、まさにこのたわみを表現として昇華していたと思う。従来のCGロボは、なかなかこの辺がいまひとつで、モーションキャプチャで動きをつけるぐらいなら、いっそ気ぐるみを着てしまって、そのパーツごとにモーションキャプチャしたほが良いのではないかと個人的に思っていたのだが、今回の『トランスフォーマー』のCGロボは果たして十分たわみを表現しえていた。いったい、CGの演算のみで表現したのか、あるいはモーションアニメーターのセンスなのか、あるいは僕がかんがえていたようなパーツのモーションキャプチャなのかはわからないが、よく出来ていたと思う。
ただ、たわみのような表現にこだわりすぎると、時間がゆっくり流れてしまい、戦闘がプロレス的動きになってしまいがちである。着ぐるみ怪獣対決ものの多くがそれが醍醐味になりつつも、それが限界になっている部分である。またしても平成ガメラを引き合いにだすなら、この対応策のひとつとして、画面アクションノイズ(と勝手に命名、主にカメラブレ、モーションブラー、蜃気楼、フォーカスのぼけ発生、これらと併用の爆発、突然のハレーション)の付加と共にカット割を多くしてリズムを細かくし、むしろたわみ表現が入り込めないようにし、アクション文体のみの簡潔さとリズムに絞り込む手法がとられていた(と、聞いたわけではないので、観ていて勝手にそう思った)。今回の『トランスフォーマー』もかなりこの手法がとられていて、と言うよりも、戦闘シーンではこの手法ばかりで、ずっとブレブレの手持ち風。言わば、戦闘シーンは観客の頭をつかんで終始ユサユサ揺すっているようなもので、ここまでやられると、観づらくなってくる。「もうちょっとしっかり見せてくれよ」と思ってしまうが、おかげで効果のアラは随分隠せてはいる。良くも悪くも、この辺のごまかし力技の圧倒的物量戦にもハリウッドパワーを感じたりもする。
と、映像も楽しめ、考察も色々できて楽しめたのだが、いわば表面的エネルギー活動観察に終始して、観終わって心に残るものがない。一応、色んな人種の人を出したりして文化の多様性を見せようとはしているのだけれど、どうにも侵略に対するこの手のハリウッド映画がもつアメリカ謳歌ののん気さは自らが現実に加害者たりえてきたその歴史に無頓着すぎる気がしてしまう。とはいえ、そんな事は、のんびり島国の観客席に座ったまま神聖な血統を気取りがちな日本人に言われたくない事かもしれないけどね。
さて、『トランスフォーマー』とりあえずは退屈もせずに映像を楽しめた。この手の巨大ロボのCGもすっかり実写になじむようになったなあと思う。感心したのは動いたときの時折見せる各部の「たわみ」っぷり(?)である。CG巨大ロボ映像の従来ありがちな欠点として、ミニチュア的に見えてしまうという点がある。非常にうまく背景になじませても、動くとミニチュアっぽくなりがちなのだ。対して、古典とも言える気ぐるみ巨大ロボという手法、こちらのが動いたときの巨大感がリアルに感じたりする事が多い。それは各部の「たわみ」のおかげではないかと思っていた。日常において工事現場の大型工作機械を見ていると、一箇所一動作が起こるたびに、全体にそれの作用反作用の動きが発生し、主動作以外の動きが全体に波のようにしばらく尾を引く。これである。動作物が大きくなれば大きくなるほど、このたわみは大きく、そして時間軸上も残ることとなる。これの正確な用語はわからないので、とりあえずここでは「たわみ」とする。ロボではないが『ガメラ3』において、ガメラの着ぐるみの甲羅を構成している無数の小さな殻がそれぞれ別々に動くようにしてあり、ガメラが動くごとに複雑な作用反作用をおりなしていたのは、まさにこのたわみを表現として昇華していたと思う。従来のCGロボは、なかなかこの辺がいまひとつで、モーションキャプチャで動きをつけるぐらいなら、いっそ気ぐるみを着てしまって、そのパーツごとにモーションキャプチャしたほが良いのではないかと個人的に思っていたのだが、今回の『トランスフォーマー』のCGロボは果たして十分たわみを表現しえていた。いったい、CGの演算のみで表現したのか、あるいはモーションアニメーターのセンスなのか、あるいは僕がかんがえていたようなパーツのモーションキャプチャなのかはわからないが、よく出来ていたと思う。
ただ、たわみのような表現にこだわりすぎると、時間がゆっくり流れてしまい、戦闘がプロレス的動きになってしまいがちである。着ぐるみ怪獣対決ものの多くがそれが醍醐味になりつつも、それが限界になっている部分である。またしても平成ガメラを引き合いにだすなら、この対応策のひとつとして、画面アクションノイズ(と勝手に命名、主にカメラブレ、モーションブラー、蜃気楼、フォーカスのぼけ発生、これらと併用の爆発、突然のハレーション)の付加と共にカット割を多くしてリズムを細かくし、むしろたわみ表現が入り込めないようにし、アクション文体のみの簡潔さとリズムに絞り込む手法がとられていた(と、聞いたわけではないので、観ていて勝手にそう思った)。今回の『トランスフォーマー』もかなりこの手法がとられていて、と言うよりも、戦闘シーンではこの手法ばかりで、ずっとブレブレの手持ち風。言わば、戦闘シーンは観客の頭をつかんで終始ユサユサ揺すっているようなもので、ここまでやられると、観づらくなってくる。「もうちょっとしっかり見せてくれよ」と思ってしまうが、おかげで効果のアラは随分隠せてはいる。良くも悪くも、この辺のごまかし力技の圧倒的物量戦にもハリウッドパワーを感じたりもする。
と、映像も楽しめ、考察も色々できて楽しめたのだが、いわば表面的エネルギー活動観察に終始して、観終わって心に残るものがない。一応、色んな人種の人を出したりして文化の多様性を見せようとはしているのだけれど、どうにも侵略に対するこの手のハリウッド映画がもつアメリカ謳歌ののん気さは自らが現実に加害者たりえてきたその歴史に無頓着すぎる気がしてしまう。とはいえ、そんな事は、のんびり島国の観客席に座ったまま神聖な血統を気取りがちな日本人に言われたくない事かもしれないけどね。
2007年6月12日火曜日
スパイダーマン3
『スパイダーマン3』を新宿のバルトで観る。
盛り込み過ぎで、その上、遊びが過ぎるのに、語り口のメリハリとテンポの良さに結局楽しんで観てしまう。最後まで惹きつけつつ十分に走りきってしまうサムライミクオリティに今回もやられた。でも、サンドマンはもう少し深めてあげたいし、親友との葛藤はもっと丁寧に描いて欲しかったとも思う。
バルトは初めて行ったのだが、随分綺麗な作りの劇場で、9階の劇場ロビーまでのエレベーターも洒落た近未来風。
そんな帰りのエレベーターで、カップルの声が聞こえてきた。
男性「あのオジサン誰?」
どうやら殺されたベン伯父さんか、親友のハリーの父の事を言っているらしい。
女性「さあ?きっとそういうの推測して楽しむんじゃない?」
え?!そうか、二人は1を観ていないらしい。3は少なくとも1を事前に観てないと説明不足なのだ。オープニングの映像にイメージとしては出てくるけど、1を観た人に思い出してもらう程度で、1を観てない人に理解してもらうまでには出来ていない。ただでさえ、既にあの盛り込みようだと、加えて過去のおさらいは難しいよね。本来、推測なんて難しい事しないでも楽しめる映画のハズなんだけどね。シリーズだとこんな事もあるんだな。
盛り込み過ぎで、その上、遊びが過ぎるのに、語り口のメリハリとテンポの良さに結局楽しんで観てしまう。最後まで惹きつけつつ十分に走りきってしまうサムライミクオリティに今回もやられた。でも、サンドマンはもう少し深めてあげたいし、親友との葛藤はもっと丁寧に描いて欲しかったとも思う。
バルトは初めて行ったのだが、随分綺麗な作りの劇場で、9階の劇場ロビーまでのエレベーターも洒落た近未来風。
そんな帰りのエレベーターで、カップルの声が聞こえてきた。
男性「あのオジサン誰?」
どうやら殺されたベン伯父さんか、親友のハリーの父の事を言っているらしい。
女性「さあ?きっとそういうの推測して楽しむんじゃない?」
え?!そうか、二人は1を観ていないらしい。3は少なくとも1を事前に観てないと説明不足なのだ。オープニングの映像にイメージとしては出てくるけど、1を観た人に思い出してもらう程度で、1を観てない人に理解してもらうまでには出来ていない。ただでさえ、既にあの盛り込みようだと、加えて過去のおさらいは難しいよね。本来、推測なんて難しい事しないでも楽しめる映画のハズなんだけどね。シリーズだとこんな事もあるんだな。
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